Project SOLA

誰も理解できない道を進め。未来が君を信じてくれる。

この世界の片隅に暮らす、全ての人々に向けて #projectsola

      2017/04/11

……まだ揺さぶられた感情が安定しない。

『素晴らしい物語は、感情に量子もつれを起こさせる』

ということを知った。

物語を思い出す度に、私の量子的感情も同じくもつれたまま、ざわめいている。

この世界の片隅に/公式サイト




この世界の片隅に

【シン・ゴジラ】を【君の名は。】が塗り替えて、それは不動のものかと思われたが。まさか年末に来て、さらにそれを塗り替える映画……しかもアニメが生まれるとは思わなかった。

岡田斗司夫とシネマハスラー宇多丸をも文句無しに唸らせたこの作品は、ジブリに変わる新しいアニメの時代の訪れを思わせる「アニメーションの新地平」を感じさせた傑作だった。

岡田斗司夫による、この作品とジブリ作品を比較してみた所によると、

そういうジブリの自然主義が、つまらなく見えちゃう。

なんでかっていうと、ジブリの描き方っていうのは、

風呂釜の炊き方、昔はこうだったんだよ、って子供に教える炊き方なんだよね。

昔はこうだったんだよ。

ほらほら手作りで素晴らしいでしょ。

という教える描き方なんだけど。

『この世界の片隅で』の描き方は、キャラクターの存在を信じさせるための描き方なんだ。

だからレベルがぜんぜんちがう。

とあるが、確かにその通りだと思った。私もジブリ作品は好きだし、確かに面白いが、……言ってしまえば「単純」なのだ。それは完全に「宮崎駿そのもの」であり、前回も書いた通り、そこには宮﨑駿流の美学がある。メッセージ性が強すぎて、その押しつけを感じてしまうのだ。

私が感じた感想と同様のことを、漫画家のヤマザキマリさんが書いている。

ヤマザキマリ・Sequere naturam:Mari Yamazaki’s Blog

「日常」というリアリティ

一方で本作はと言えば、完全に「日常」がテーマだ。

ここに『この世界の片隅に』の素晴らしさの結晶が凝縮されていると言ってもいい。徹底的にメッセージ性を廃して……またはそれを全く感じさせないようにして、「すず」というキャラクターの人生のリアリティのみを追求した作品なのである。

主人公の声優だとか音楽だとか音響、そしてアニメーションならではの表現方法の多様さなども素晴らしいが、それらは誰か他の人が書いてくれることと思い、ここでは特にストーリーの作りこみについて焦点を当てよう。

ヒットするコンテンツの法則

コンテンツの法則は、人間の感情を励起させることだ。それには様々な方法があるが、起承転結の……特に「承」から「転」の落差を激しくすることが重要である。分かりやすい例で言えば、虚淵玄のまどマギやPSYCHO-PASSを思い返してもらえばいいが、虚淵玄の場合は「転」を突出させることでそのギャップを生み出していた。

だが「転」を強調しなくとも、そのギャップを最大化することはできる。それが、私がkey作品などのテキストノベル系ゲームを研究して分かった、もう一つの手法『「承」の積算』による方法だ。

これは佐渡島庸平氏の言う「分人主義」でもあり、その日常が平坦で何気ないものであればあるほど、つもり積み重なって大きい感情の湖を蓄積させていく。それはつまり、「承」を積み重ねることによって、共感を積み上げていく、という手法である。

「承」の積算による効果

本作は、これがバッチリ完全に噛み合った作品だったため、「転」が予想できるものだったにも関わらず、心の奥深くを真からわしづかみで握り潰されたように、激しく感情が揺さぶられた。

これは、舞台となる呉を始め、時代考証やショートレンジの仮現運動を使用することによる、徹底的なまでのリアリティがもたらした力だろう。……これぞ「共感の真骨頂」というくらいのお手本にしてもいい作り方だと思う。

あまりに感情を揺さぶられて、途中からストーリー展開が冷静に判断できなくなり、「これは現実を描いているのか?それとも妄想の表現か?」……と言った部分が全く分からなくなり、そして。

(おおおおおっ……!)

と思わず本当に口に出して唸りそうになってしまったシーンが、最後の方に出てきた。

……これはおそらく、実際に死を実感したことのある人なら分かるだろう。

そのシーンを見た時はあまりにも感情がグチャグチャで、(これは夢オチなのか!?なんだこれは!?なんなんだ一体!?)……と、冷静に見ることができなくなってしまうほどの場面だった。

「何気ない日常の素晴らしさ」

私は農村JACKでずっと変なことをしているが、本当に強調したいのは、「変なことの非日常の面白さ」よりも、実は「何気ない日常の素晴らしさ」を伝えたいのである。……これに関してはまた別の機会に譲ろう。

日常とは、究極の共感だ。

にも関わらず、ふとしたきっかけで簡単に崩れてしまうほど、脆いものでもある。
だからこそ、人は一瞬一瞬、一日一日をしっかりと生きる。大切に暮らす。月並みな話になってしまうが、生や死を実感できなければ、その儚さ素晴らしさに気づくことは難しい。

「生きていることの素晴らしさ」を伝えることが、私であり農村JACKのやりたいことなのだ。



全ての生は、等しく素晴らしい

生きていれば、辛いこともあれば嬉しいこともある。出会いもあれば別れも必ずある。……そうして万物は流転しながら代謝を繰り返していくことが、自然の絶対の法則であり、人間の贔屓とは違う、世界の愛なのである。

それらはどれも、尊く素晴らしいものであり、何とも思わずに過ごしてしまうには非常にもったいないほど、かけがえのないものだ。

この世界の片隅には、そうした日常を深く静かに暮らしている人々がたくさん存在する。そしてその人生の数だけ、かけがえのない物語は存在している。悲劇もあれば、ハッピーエンドもあるだろう。でもそれは、世界が動いていく中において、どれも等しく輝かしいものである。

……願わくば、あなたの幸せや喜びは共に分かち合い、悲しみや苦しみには共に寄り添おう。

みんなが笑って暮らせるように、一人でも多くの人が誰かの笑顔の受け皿になれたらいいと思う。そう思わせてくれるほど、素晴らしい物語だった。

日本の物語は、まだまだ死なない。

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