Project SOLA

誰も理解できない道を進め。未来が君を信じてくれる。

人が生きるための役割とは何か

      2017/04/11

最近、なぜ途上国の貧しい人々があんなにも活き活きとしているのか?その理由が分かった。



ある東京での一日

それは、神田で起業のためのピッチを終えて、漫画喫茶に泊まった次の朝のことだ。まだ朝早く、お店はどこも開いていない。まだ街はひっそりとしたまま動き出していないので、私はどこかで時間を潰さなければならなかった。

辺りを見回しても、人通りは少ない。がらんとした街の中で、どこにも居場所がなかった。……そう、東京に行って時間を過ごそうと思ったら、お金を払わない限り、どこにも居場所がないのだ。

これが長野の田舎であれば、元々人も少ないし、土地だって余り放題なので、どこにだって居ることができる。空き地はどこにだってあるのだ。そして、家にいたとしたらやることはいくらでもある。街とは逆に、田舎においては、やることが多過ぎて時間が足りないのが現状だ。

あまりにも高度で最適化し過ぎてしまった都会では、ほとんど生活に困ることはない。そのため、お金を払って買うようなエンタメを消費するしかないので、自分の生きるための役割を実感しにくい。……つまり、街ではやるべきことが少なすぎるのだ。

分業が発達し、お金を稼ぐことによって人々は生活を維持する。やりたくないことはアウトソーシングできる。そうなると、もし街において最適化を崩すような存在になると、社会から弾き出されてしまうことになる。借金苦の場合を除くと、最適化された都市で社会に溶け込めず、働くことも失うと、生きるための意味を見失う。そして、最後には死を選ぶ。……ここに、自殺大国日本の根本を見た。

田舎での仕事とは

一方で田舎に行くと、やるべきことだらけで、悩んでいる暇なんてないぐらい忙しい。これはおそらく、途上国の状況と同じなんじゃないだろうか。

働くことは=生きることと同時であるため、やるべきことは山積みだ。自然に負けないように自然と戦い、食べ物を作り、体を動かして「生きる」ことを行う。この充実感というのは、おそらく人間の根源的な欲求を満たすのだろう。……実際にそういう生活を行っている私が言うのだから間違いない。

このような生活を行っていると、はっきり言って「悩んでいるヒマなどない」。悩む前に体を動かせ……!という世界なのだ。堀江貴文氏が言っている通り、「グチグチ悩んでいるのは、ヒマだから」ということなのだろう。

一日を生きるために生きて、一日無事に生き延びたことに安堵して眠りにつく。……このような生活をしているのであれば、将来の心配などしても仕方ないし、した所でどうすることもできない。

時間もないし、お金もないし、インフラもない。そうなってくると、自分の生きている世界だけが人生の全てになる。ということは、誰かと比較することも無くなる。

 

ただ、日々を生きるだけ。……それが人生の全てになる。

 

ただ生きるだけ、という人生の価値

これが幸せなのかどうかということは置いておこう。だが、世界には知らない方が幸せなことだってあるのは確かだ。毎日をただ暮らし、そうして生きていくだけの人生だって当然アリだろう。そういう人に他人がどうこう言うべきではないし、実際日本だってそういう人も増えてきた。

電波暗室の希少性と同じように、人が多くなりすぎた社会では、人が少ないことが逆に価値を持つようになる。そんな社会で私ができることは何だろうか。

こんな暮らしの楽しさを、それが必要な人に届けることだけなのではないだろうか……?

と、最近思ったりもするのだった。

 - その他色々, 農村JACK , , , ,