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物語進化論 〜ドラえもんからまどマギまで〜

      2017/04/11

物語によって、人は進化していく。……これを私は、物語進化論と呼びたい。

最近、魔法少女まどか☆マギカと、ドラえもんのび太の大魔境を観た。
何故私がここまで物語にこだわっているかというと、この「物語」というものが人の心理を明確に表しているものだと思っているからだ。




物語が表すものとは

第二次性徴期に「死」を意識するようになってから、人間の根源的なものとは一体何なのか?本能とは何か?人間のOSとは、生きることとは一体何なのか……?ということをずっと追い求めてきたつもりだ。
その結果、食と恋愛に特化して研究するようになってきたわけだが、どうしてももう一つ手放せないものがあった。……それが、物語だ。
これが何故なのかと考え抜いた挙句、辿り着いた答えというものが、「希望」とは人間の本能の一つなのではないか?ということだった。

それを具体的に体現しているものが、物語なのではないか?と。

この辺りの考察に関しては別の機会に譲るとして、今回はその歴史的な流れと、ドラえもんのび太の大魔境が如何に完成度の高い物語なのか?……ということについて考えてみたいと思ったが、長くなったのでドラえもんに関してはまた次回にする。まずは物語の歴史の流れからだ。

物語は人生のシミュレーター

簡単に言うと、物語とは人間の精神をなぞるシミュレータのようなものであり、物語を通して人は、客観性や多様な価値観を学ぶ教材となっている。現在では、アニメや漫画は日本が世界に誇る文化となっているわけだが、海外に出て様々な国の人々を見ていると、日本のその精神性の多様さというものは、こうした物語を通して育まれてきたものではないかと思う。
物語の複雑性が、日本人の思考の複雑さをもたらしているのではないか?ということだ。

例えば昔は、「スポ根モノ」というのが流行った時期があった。「勧善懲悪モノ」が流行ったのも同時期だと言ってもいいだろう。いわゆる、水戸黄門のような物語だ。
この時期は、歴史的な背景を鑑みても、努力してライバルを倒す競争や、同様に社会的な悪を倒すために頑張る、といった単純なストーリーが好まれていた。
こうした物語に感化された結果、人々は明確なモチベーションを保ち、努力を行うようになってきた。そうして日本社会も発展していった。高度成長期の頃だ。

ファンタジー最盛期

当時はまだ「勇者が魔王を倒すファンタジー」も流行していたわけだが、それがある時、とうとう「勇者が魔王と一緒に世界を救う話」というジャンルが生まれてきた。「まおゆう魔王勇者」という物語だ。
これは、それまで勧善懲悪だった単純な物語が、ある時ふと「あれ?頑張って努力してきたけど、倒すべき悪って一体何なんだろう?」と社会が気付き始めた頃だったのだと思う。既にはるか以前に手塚治虫がそれを行っていたわけだが、まだ社会全体に浸透するには早すぎた。
高度成長期が終わり、社会全体が発展して初めて、人は「正義と悪は表裏一体である」ということに気付いたのだろう。その心理を物語が代表して表すようになったのである。

この最たる物が、「魔法少女まどか☆マギカ」だ。



勧善懲悪時代の終わり

前述した「まおゆう魔王勇者」が、「悪とは本当は悪ではないのではないか?」という問いかけから始まったのに対し、まどマギは一歩踏み込んで「……実は、正義こそが悪の火種なのではないか?」というテーマを扱っている。
脚本家の虚淵玄は、「Fate」シリーズでも似たテーマを扱っているが、こうした正義やヒーロー像の変化は、まさしく日本社会の精神性の変化を表しているものであり、時代とともに、人は何らかの心の拠り所を探っているのだろうと思う。

このような流れを見ていると、ある時代に流行した物語は、それを観たものの心に何らかの影響を及ぼし、さらにそれを進化させ、新たな社会に適応した新しい物語として作り変えられていくのだろう。正に、物語が次の物語を進化させていくのだ。
勧善懲悪だった魔法少女ものとしてのセーラームーンが、新しく進化してまどマギに変わったように、これからも人は物語を通して精神を進化させていくに違いない。
まだ、他の多くの国々では、日本ほど物語が進化している所は無いと言ってもいい。……日本は、物語によってその精神性を進化させてきたのだ。

そして冒頭に書いたように、人は何故物語を創りだすのか?……と問われるとするならば。

「物語とは、希望を創りだす媒体である」と、私は考えている。

 
 
 

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