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何故途上国のド田舎の人々が幸福なのかが分かった

   

日本が先進国となってから、度々注目されるようになったことがある。それは、『先進国である日本よりも、途上国の人の方が幸せに暮らしている』という話だ。

それ故に、数年前から多くの日本人が途上国を一目見てみようと、旅行する人も多くなったり、そのまま移住する人々が増えてきたようにも思う。

これには様々な理由が考えられているようだが、個人的に最近、この理由がうまく言語化できたように思うのでまとめておこう。



何故途上国のド田舎の人々が幸福なのかが分かった

要するにこの現象を一言で言うとするならば、『必ずしも情報の量は、生活の質とは一致しない』ということだろう。

こちらに面白い記事があった。

不快感にこそ幸せのヒントがあった なぜ最貧国ボリビアのほうが日本よりも幸福感が高いのか? – 風樹茂 (作家、国際コンサルタント)

http://blogos.com/article/223430/

共産主義の理想と資本主義の理想と限界

かつて崩壊した共産主義の理想は、「全ての人が平等である」ということだった。しかしそれは、「平等であるという仕組みを作るためには、仕組みを執行するための権力を作らなければならない」という矛盾によって脆くも崩れ去った。

しかしその対抗策として生まれてきた資本主義すら、最近は崩壊の兆しを見せている。資本を再配分する仕組みがうまく機能せず、自由競争の中でより強力な中央集権化が起きてきてしまったからだ。

……果たしてこの世に楽園はあるのだろうか?

情報の量は生活の質を変えるのか?

資本主義に象徴される自由競争の重要な資源である、「情報」は確かに非常に重要で、特にビジネスの点において使いこなせなければ、死あるのみというとても強力なツールだ。私自身も、一時期はそう考えてとにかく情報を集め、分析し、結論を導きたがっていた時もあった。

だが、そこで一定の結論ができて仮説が生まれた後は、特に情報収集をする必要を感じなくなり、意識的に情報を集めることを止めてしまった。また、リアルでの活動をする必要があり、しばらく情報が手に入れられない時期が続いた。

その結果どうなったかというと……?

 

……特に何も変わらなかったのである。

 

それどころかむしろ、ノイズとなるようなニュースが入ってこなくなり、リアルな生活の質が向上したような気がした。そして、これがきっと途上国の人々が幸せな理由なのだろうと実感したのである。

情報が無ければ、自分の生活圏内のことしか関係がなく、他者との比較が生まれない。選択肢が無ければ、決められた暮らしの中でコミュニケーションを取ることが幸福の条件となるのだ。

知らないことは幸福でもあり、無知は充実ということでもある。

……実はアダムとイブが手に入れた禁断の知恵の実は、知識という名の「情報」だったのだ。



幻想を見て幸福の比較をする人々

サピエンス全史によると、人間は幻想を信じられる生物であるということだ。その結果、外部から与えられる幻想と比較し、自分が幸福かどうかを測る尺度としている。そして、幸福には形があり、その形を模倣することで幸福になれるという幻想を抱いてしまう。

さらに、その形を手に入れることができれば、自分も安定して幸福が手に入ると考えているようだ。

しかし本当は、何も知らない、未来も分からないからこそ、人は日々の暮らしを充実して過ごせる可能性がある。共産主義における静的平衡を目指そうとすると、生命力そのものが枯渇していく。

……つまり、動き続けることによって安定した暮らしが生み出せる「動的平衡」こそが最も充実した暮らしになるのだろう。

まとめ 動的平衡という幸せ

誰かに決められたゲームのストーリーをなぞっているだけではつまらなく、先の分からない未来を自分で作り上げていくからこそ面白い。

それこそが生きている実感であり、情報を持っているからといって幸福であるとは限らない証拠だろう。

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